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仙台城跡・伊達政宗騎馬像
伊達政宗は陸奥仙台藩の初代藩主として広く知られています。

仙台の歴史・発展など、伊達政宗の影響力は非常に大きなものが

あります。

このページは、歴史にのこる伊達政宗と、仙台に関してお伝え

いたします。

伊達政宗は、戦国時代の武将で出羽国(羽州)と陸奥国(奥州)を治め陸奥
仙台藩の初代藩主として広く知られています。

本姓は藤原氏で家系は伊達朝宗を祖とする伊達一族です。

第16代当主・伊達輝宗と最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男として
生まれ幼名は梵天丸。

幼少時に疱瘡(天然痘)を患い右目を失明しながらも、戦国時代屈指の教養人
として、また、朝鮮出兵時に政宗が伊達家の部隊にあつらえさせた戦装束は
有名で、豪華絢爛な世界を好んでいたことでも知られています。

この朝鮮出兵の出来事以来、派手な装いを好んで着こなす人を「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになった、と伝えられています。

「政宗」の名は伊達家中興の祖とされる室町時代の第9代当主・大膳大夫政宗に
ちなんだものです。
歴史に詳しい人は、この大膳大夫政宗と区別するため藤次郎政宗と呼ぶことも
あります。

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【伊達政宗の目】
  独眼竜の異名があるように伊達政宗の独眼(隻眼)は、あまりにも有名です。
  この独眼に関しては諸説ありますが、幼少時に疱瘡(天然痘)を患ったとする
  ものが有力です。

  また、豊臣秀吉や徳川家康に右目のことを訊ねられて、政宗が「木から
  落ちて、右目が出てきてしまったが、あまりに美味しそうだったので、食べて
  しまった」と語ったという逸話や、片倉景綱に右目を切断させたという説も
  あります。

【伊達政宗の教育・軍師・家臣】
  伊達政宗の将来を心配した父・輝宗は臨済宗の禅師、虎哉宗乙(こさい
  そういつ)を招き厳しい教育を行ないました。

  この虎哉宗乙により仏教や漢学を学び、神職の子である片倉景綱が守り役と
  なり側近中の側近、時には軍師として生涯忠誠を尽くして仕えました。

【慶長遣欧使節】
  伊達政宗は仙台藩とスペインとの太平洋貿易を企図し、仙台領内において、
  スペインの使節の協力によってガレオン船・サン・フアン・バウティスタ号を
  建造しました。


 政宗は家康の承認を得て、家臣・支倉常長ら
 一行180余人をメキシコ、スペイン、および
 ローマへ派遣しました。




【料理が趣味】
  はじめは兵糧開発のために行っていたものが、戦国も終わり徳川の時代に
  なると美食を極めるために料理の研究をしていたといわれています。

  「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」と
  料理に関する名言を残しています。

  仙台発祥の料理が多い原因に、政宗の影響をあげる人も多いものです。

  また味噌倉を仙台城下に建てて、初めての大規模な味噌生産体制が
  行われたと伝えられています。(仙台味噌)

  政宗の料理研究の結果開発されたものに岩出山名物の凍り豆腐や納豆が
  ありますが、元々は兵糧用であったと伝えられています。

  そして、仙台名物のずんだ餅も政宗が考案したという説があります。

【酒に弱い政宗】
  天下の名将政宗にも弱点があったようです。
  酒には随分と弱く、酔って失敗した逸話がいくつか残されています。

  二日酔いのため、将軍秀忠との約束をすっぽかし、言い訳に仮病を使って
  ごまかし言いぬけた話はよく知られています。

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